珈琲に纏わる思い出噺



只今、安静中の身です。
騙し騙しいけるかも、という中途半端なことは
今回の腰痛(…というより背骨の問題らしいのですが)には
全く通用しないことを思い知り
この際、長くて暇な夏休みを楽しむことにしました。
制作もいまだけは休止して、とにかくごろごろする毎日。

ひとつ気が付いたのは
ヒトは暇だと普段使わない頭が働くのか
ふとしたきっかけで、いろんなことを思い出すのだということ。

例えば、パッケージの図案がとても素敵な
焙煎し立ての珈琲豆を頂いて
しばらく飲めなくなっていたコーヒーをまた飲み始めたら
珈琲屋になりたいと真剣に考えていた頃の記憶が蘇ってきました。

お酒よりもコーヒーが好きで
何より時間が止まったようなお店の佇まいが好きで
仕事の後ひとりでふらりと立ち寄る場所が珈琲屋でした。

会社を辞めて珈琲屋になると決めてからは
金曜日ともなると仲のよい後輩と一緒に
朝まで珈琲屋、喫茶店、カフェを梯子して歩いたことも。
いったい何杯のコーヒーを飲んだのか…。
朝日が昇ってくる頃にはお腹はガポガポ、
足下はフラフラで始発に乗って帰るなんて無茶も。

その後輩もいまは世界中を旅するジプシーとなって、いまは音信不通。
旅の途中に出会ったヨガをしながら
どこかで元気にモーニングコーヒーなんか飲んでくれていたらいいなぁ。

珈琲屋になる為に専門学校へ行くので会社を辞めます!
と、社長に伝えたのは時々ランチを食べに行った喫茶店だった。
その社長によく叱られたのも会社の裏にある喫茶店。
「社長が裏喫茶で待ってるって」と本社から電話がかかってくる度に
恐怖で縮み上がっている私に「あっ、いま白髪増えた」と
親切に同僚が教えてくれておりました。

念願の自家焙煎珈琲店で働き始めてからは
豆の焼ける香りに包まれつつ
テイクアウトのコーヒーを売るのに大わらわ。
とても小さなお店なのに、朝に昼に長蛇の列が出来て。
その殆どのお客さんは常連さんで「本日のコーヒー」が目当て。

来る日も来る日も社長とふたりきりでその行列をさばく。
S、M、L、LLの「本日のコーヒー」に
時々ココアであったり、アメリカンなんて注文も。
アメリカンという注文を告げる前に大抵、
社長は少なめのコーヒーにお湯を注ぎ足したカップを差し出してくる。
お客さんの顔を見ただけで注文を聞かずともわかるらしい。

そのうちに自分もお客さんの顔を見て
すぐ後ろにいる社長に注文を告げるようになって
お客さんの注文も「いつものね」が増えてきた頃、
ちょっとクセのあるアメリカンの常連さんから
「これを読め!」と山本周五郎の「艶書」を手渡された。

古本屋とか出版関係のお客さんが多く
アメリカンの常連さんも古本屋の店主だったことを知る。
なんとなくその時、やっとこの店の店員として
認められたのかなぁという気がしたものです。

それからいろんなことがあって
結局、その珈琲屋を辞めることになった日。
一緒に働いていた珈琲に詳しいちょっとスパルタ式な仕事仲間と
始めて本音で話し合って社長の店を去る決心をしたのだったなぁ。

悔しいやら情けないやら申し訳ない気持ちまでもが
ぐるぐると頭の中を駆け巡って、気が付いたらふたりで高円寺の喫茶店にいた。
何を注文したのかは思い出せないけど
そのお店の雰囲気にちょっとだけ気持ちが落ち着いたのは覚えている。

「この先、どうなるのかねぇ」なんてこと話していたような気もするし
強がって「なんとかなるよ!」なんて言ったような気もするなぁ。
それもかれこれ十年前の噺。十年ひと昔だから、昔噺になるのかぁ。
十年後のいま、友達は一児の母となり、私は紙文具屋に。
途方に暮れて、喫茶店で向かい合っていたふたりに
「大丈夫、たぶん」そんなコトバをかけてやりたいなぁと思った今日この頃です。

珈琲はね、豆を挽くときとお湯を注ぐときが一番香りがたつんだよ。
そんなことを教えてくれたのも彼女だったか、
それとも、あの社長だったのかなぁ…。

北海道のタンポポハウスから届いた
自家焙煎珈琲から立ち上るよい香りに
すこ~し酔ったのか、やはり暇すぎるのか…
珈琲に纏わる思い出噺、でした。

hisanaya

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